前のブログで書いた懸念が、日々現実化していると思われる昨今……。
今月は、人脈の少ない私でもけっこうな数の飲み会がありました。
中でも面白かったのは、配偶者関係の人脈での飲み会。
(ちなみに対外向けには、私は妻のことを「妻さん」と言うようになりました。「奥さん」は普通でつまらないし「奧」じゃないし、「妻」では古くさいし、「細君」がいいと思ったんですが知らない人が多いので)
妻さんは、フィリピンやイギリスを巡り、米国ロサンゼルスにて結婚・出産、20数年をすごして、元のご主人が亡くなったのを機に帰国したんですが、ロスではかなり熾烈なビジネス社会の第一線に身を置いていたので、とてもおもしろい(変わった?)知人友人がいます。
先週は、妻さんがコンサルタント会社に勤めていた時に仕事を手伝ってもらっていた女性が、うちに来て一泊していきました。
美人で小柄なのに、えんえん食べ続ける人です。ゆっくりキレイに、しかしいつまでもどこまでも食べ続けます。
前から話には聞いていたのですが、用意した食事の量が少なかったかなと心配してます(すみません)。
もう一人は、妻さんがロスで軍事産業の会社と、日系旅行代理店に勤めていた時の仕事仲間の日本女性。
彼女は韓国人エリートの男性と結婚し、二児をもうけています。
そんなファミリー4人と、私、妻さんとで、新宿で飲みました。
ご主人は、アメリカの大手テレビ会社の編成をしていて、その日本法人に単身赴任中。
奥さんと子供さんはシンガポールに住んでいて、来年3月に帰国してご家族で一緒に住むことになったそうです。
「家賃が40万円しか出ない」と、とんでもないことを言っていたと妻さんから聞いてましたが、さすがアメリカ、デキル人には出す金額が違います。
「エリート金持ちの世界じゃあ」と思っていましたが、妻さんから聞いていたとおり、奥さんは実に屈託ないざっくばらんなかたでした(これまた美人さんなんです)。
ご主人は、隙のない男っぽいエリートという感じで、日本語はほとんど話せません。
で、お子さん二人(10歳くらいの女の子と男の子)が、実に素直で明るく、裕福ないい家庭に育ったんだな〜と思いました。
そんな6人での飲み会は、当然のごとく英語主体。お子さんは完全ネイティブな英語だし、もちろんご主人も英語。
奥さんは日本語で通していましたが、「俺はどう振る舞ったらいいんじゃい?」な世界でした。
が、結局は飲んでしまえばこっちのもの、片言の英語でへらへらと楽しい時間を過ごしてきました。
特に、お子さん二人が見かけも性格もかわいくて、妻さん・奥さんは二人でしゃべり、ご主人は寡黙に飲んでいて、なにやら私が「子供担当」みたいにならざるをえず、私は元々子供と接する機会が少なく苦手なのですが、結構なつかれ(?)ました。
子供たちは、いろいろ特技を見せてくれたり、レモン絞りに熱中し私に飲ませるという遊びに精を出していて、私は「まあ、こんな感じかな」的な対応をしたんですが、それで意外と馴染んでしまったという感じ。
面白かったのは、タバコを吸うのが私と妻さんだけだったのですが、タバコを吸い出すと子供たちが二人して服を鼻まで持ち上げ、煙(毒)を「防御」するわけです。
そんな彼らに「ポイズン、ポイズン」と言って妻さんはタバコを近づけビビらせてましたが、私はタバコの煙で輪っかを作ろうとして失敗し、子供たちをがっかりさせました。
そうしたことへの反応もまた無邪気で、まー本当に無垢な子供たちだこと、と感心してしまった次第。
といった一夜で、私としては、英語でのコミュニケーション(実態はほとんどボディランゲージ)がまあうまくいき、ご主人と業界のことなど難しいことが話せなかったのは残念でしたが、有意義な時間でした。
特に、苦手であるはずの子供と仲よくできたのは、自分で意外でした。
しかしあとで、妙な気持ちがちょいと湧いてきました。
なんというか、子供の機嫌とりをして悦に入っていただけかも、みたいな。
子供に合わせて、無理な自分を演じていたんじゃないか、みたいな。
俺は嘘つきの人でなしじゃあ! みたいな。
しかし……子供たちにとっては、んなこと全然関係ないわけでして、気になる自分がおかしいわけですけど。
結局のところ、子供慣れしてない、ということなんでしょう。
ああいうことを何度か経験すれば、私も立派な「子供つかい」になれる、かもしれません。
2008年6月22日日曜日
四日酔い!
先日は、知人の出版記念パーティーだった。
そこでは何人かの知り合いと話をし、その作家さんと三人での三次会まで行った。
もともとビジネス上の収穫が見込めるようなイベントではなく、仕事のことなどまったく考えてなかったのだが、しかしいくつか収穫があった。
一つは、これまでで最高の編集者と思える人に、僕は仕事上の成り行きから勝手に「愛想尽かされた」と思っていたのだが、どうやらそんなことはなかったようだと確認できたこと。
他にも、関係がうまくいってないなと思っていた人たちと話をし、みな杞憂だったと納得できた。
僕は子供の頃、人とちょっとでも違った風の服を着ることを極端に嫌がるような、人にどう思われるかということをひどく気にする性格だった。
大人になるにつれて、「嫌われようが低く評価されようがかまわんわ」と思うようになったが、それでも人の評価を異様に気にする性格は基本的に変わっていないようだ。
そのため、人間関係がうまくいかないことに過剰に反応してしまう。「かまわんわ」と思いつつ、気にするのだ。
これまでの人間関係では、「嫌がられている・好かれている」「高い・低い評価を受けている」といった判断は、かなりの程度正しかったのだが、どうやら人間関係がこれまでと大きく変わってきている今、そうしたかつての判断方法が正しく機能しなくなっているらしい。
つまり、いちいちそんなことを気にするようなレベルのつきあいではなくなってきている、ということのようだ。
さて、三次会を終えて、仕事がらみも少ーしはあったけれど、これまた人間関係修復のような要素が強く、新宿二丁目のオカマバー(というには歴史が長く高級優良店だが)に、僕一人で行った。
そこで男前のママと話したところ、これまた、人間関係修復など考えずともよかったくらいのことだった。
ママのほうが、こちらに悪いと気にしていたくらいで、僕も腹蔵なく話しまくることができた。
僕たちはとても長いこと二人で話をし、焼酎のボトルを一本空けて、結局、他にお客がいなくなった朝の4時過ぎまで飲んできた。
僕は二日酔いがひどいタチなので、それからほとんど二日以上寝込んでいた。
仕事に手をつけるどころか、本すら読めない。
ハードディスクに溜めていた「リンカーン」「ガキの使い」「のだめカンタービレ」やらをぼうっと見るばかりで、まったく停滞の時間だった。
でも、そんな無駄な時間を補って余りあるくらいのものを、ママとの話で感じることができた。
彼は、ママという言葉が似合わないくらい男気があって、筋の通った理論と感情のどちらも深い人だから、そんな人といろいろなことを5時間以上話せたことが、とても嬉しく感じられる。
といって、さて何を話したのやらと言えば、実ははっきり覚えているわけではないんだけれど、しかし仕事や人間、つまり「人生について」的なことばかりをお互いに話し続けていた。
ああいう時間は、なかなかもてるものではない。
だから、パーティーの日を合わせて三日以上の「仕事のできない日」があったとしても、それはとても実りのある時間のために必要なものだったと思う。
そして、そう思える自分を、よろしいな、と思う。
さて、今週は二つ打合せがあり、学生時代の先輩たちとの飲み会もある。
すでに急ぎでやらなければならない仕事があるし、打合せでは新しい仕事についていろいろなことが決まるから、これからかなり忙しいことになるかもしれないが、それでも大丈夫だろう。
いよいよとなったら眠らずに仕事すればいいだけの話だから。
仕事に取りかかったら我を忘れて没頭できる気質と、まだまだそれだけの力がある健康に感謝すべきだなあ。
でも実を言えば、今もまだ二日酔い(いや、もう四日酔いじゃ)が抜けきっておらず、この文章を書いていても頭が働いていない感じ。
少なくとも来月初めくらいまでは、飲み会は控えないといけないわねえ。
……って、ママの口調がうつってたりして。
2008年6月17日火曜日
勝負心
先日、見知らぬ人もいるお仲間達とボウリング大会みたいなものをやった。
(編集部にいた頃、ボーリングだと工事の穴掘りだって注意を受けて、そんなこだわりからボウリングと表記してます)。
男女5組のペアで、ほかのオジサンたちも女性もうまくなさそうだったから、
「一番とるぞ!」と意気揚々、始めた。
ボウリングは、生涯でこれまで10回くらいしかしたことがないんだけど。
一発目、僕はストライクを出した。とても気持ちよかった。
そしてその後……3ピンだ、ガーターだとたちまち大荒れとなって、「コツがつかめん。おかしいなあ」などといいながら、はっきり感じていたのは、強いプレッシャー。
なにせ女性もいるし初対面の人もいるから、悪い結果が出るにつけどんどんプレッシャーがかかってきていた。
体育会系のことにほとんど真面目に携わってこなかったツケが、こんなところに出るのですね。
人生の勝負はけっこう簡単にやっちゃうくせに、こういう「その場ですぐ結果が出ること」にはまったく弱い。
結局、1ゲーム目のスコアは60。大人の男として、ほとんど考えられない数字である。
それでどんどんアルコール入れて、やっと落ち着いたのかなんなのか、最後のほう連続3投スペアを取って、ラスト1投、「連続ストライクで挽回だ」などと思ったらまたへろへろになって、結局スコアは90。
断トツの最下位になってしまった。
「予定通り一番取ったぞ!」と笑ったが、ペアを組んだ女性も僕のひどさが伝染したのか本調子じゃなく、十分な笑顔で答えるというわけにはいかないようだった。
まあ、こんなことをやるだけでも僕にとっては十分進歩なのだが、気付いたのは、心理状態が悪い方向にどんどん進んでしまうケがあるということ。
僕の中にある神経症的な要素がまさにそうなのだが、そうしたことがスポーツという明るいリクリエーションであるはずのものでも出るということに気付いた。
ただ、他にもう一つ思ったことがあって、こんなふうに「その時」「すぐさま」「意識的に」「偏見なく」自分の内面に気付くようになっているんだなということ。
これは、いいことだろう。
昔なら、不必要に落ち込んだり、それを無理に取り繕ったりしただろうが、今は平常心ですぐに自分に気づくことができる。
だから、普通に明るく楽しめる。
ちゃんと変わろう、という思いは、どうやら心底から出てき始めているようだ。
メンタル面と肉体の直結具合は、以前と変わらんようだけど。
「いざというその時」の勝負心も、鍛えたいものだなあ。
2008年6月12日木曜日
自由でいたいわけだね。
書籍の仕事で、先方の提出してきた全体構成案がどう考えてもおかしい。
なので先ほどいろいろとやり取りし、これから上手い具合に持っていこうということで完全同意した。
おかしくなると思われる件に関しては、手間がかかっても最終的にいいものをつくることが一番の手だと思う。
目的は、出版社も編集者も私も著者も満足することなのだから。
先日は、僕が現状で唯一先生と呼べる人と夕食会をした。
仕事を通じて出会い密にお付き合いさせていただいているのだが、この八年ほどの熾烈な活動を「発展的解消」するとおっしゃる。
今後はより大きく、よりリスクの少ない活動となるだろうから、私としては大賛成で、新たな門出に乾杯した。
これからもよろしくお願いします。
夕食会を終えて家に帰ると、かつてお付き合いした人から「実はもうじき入籍するんですよ」とメールが来ていた。
いやーよかったよかった。彼女は実に奥さん向きの人だから。
これまた、一区切り、発展的解消。
ちょっと面白いシンクロだった。
ところで僕はと言えば、彼女と別れてからの半年近くずっと独り身で、なんとなあく複雑な気持ちもありあり。
「んむー、俺も結婚したろうか」なんていう思いがふと過ぎったりして。
でも当面、そんな相手はいないし、結婚という形を求めてもいない。
正しく言えば、相手次第であり、結婚してもしなくてもいい。
お互いが一番いいと思う形で、それぞれ好きなように活動して充実し、束縛しすぎることなく、でも互いに大きな刺激となるような、ライバルみたいだけど仲のいい関係が理想です。
ん? 青臭い?
子供をつくるなら、そうした関係もだいぶ穏やかさがプラスされるだろうが、でも恋愛において、また男女が共に暮らすにおいて、ひとつの理想の形だと思っている。
そして私にとっては、いちばんの理想だ。
活動・仕事などに理想を求めるのと同様、男女関係でも理想を求めるのが当然だと思う。
もちろん、妥協や価値観の変化は生じるだろうけれど、まずは理想がなくちゃね。
いわゆる、夢というやつです。
夢を目指して、がんばろう。
ん? やっぱり青臭いのかな?
2008年6月10日火曜日
忙しくなろう
何十時間連続執筆、なんてことを続けてきて、いい加減うんざりしていた。
こんなことでいいのだろうか、と追い詰められていた。
ところが面白いもので、追い詰められるところまで追い詰められてみると、人間ってのは、開き直りの精神が発揮されるようだ。
追い詰められると精神的に辛すぎるから、ウツにもなる。
ってことで、単に「死にたくない〜」という自己防衛本能のなすワザかもしれない。
まあとにかく、僕はひとまず、開き直った。
このところは、本を書くための参考図書60数冊の読破に取り組んでいる。
そして今月いっぱいくらいで、一冊本を書く。
そこに昨日、リライトの仕事の依頼が来た。これも今月いっぱいのシメキリ。
どれも例によって、「相手が求める以上に」やるつもり。
なので、またひどく忙しくなると思うが、もう仕事に追われても追い詰められない。
と、勝手に思っている。
開き直ってしまったから。
二日酔いがひどい僕だが、7日には知人の誘いでライブハウスにも行ってきた。
14日にも、ボーリング大会&飲み会を入れた。
そして18日は、親しい作家さんの出版記念パーティー。
そんな暇があるもんか、というのが、不活発極まりない僕のパターンだったが、さすがにもういいや、と思い切った。
仕事はしなければならないが、それに縛られ尽くす必要はない。
もっといろいろなことをインプットしたい。いろいろな人と出会いたい。
そして、自分がやるべきこともやりたい。
そのために必要なのは、時間と健康。ただ、この二つだけ。
時間は、寝ないだけで一日24時間使える。
一日8時間労働として、3日分だ。
健康は現状なんとかなっているし、実際に倒れてみなけりゃわからない。
そして、この二つの要素は、やる気やら情熱やらバイタリティやら目的意識やら、とにかくそんなこんなの言葉で表されるような「心がけ一つ」でなんとかなる。
ただ一つ、熱意があればいい。
睡眠は自然に減るし(寝るのがもったいない)、生き生き活動すれば病気にもなりにくいだろう。
もちろん、ずっと眠らず人ともばんばん会ってなんて、そんなハード極まりないことをわざわざするつもりはないが、つまり、そんなふうに思い切ったということ。
それだけで、めっちゃ気が楽になった。
ものすごく余裕ができたような気がしている。
だから僕は、忙しくなろう。
制約など設けず、どんどんと。
ウツの時もシニカルな時も、自分が勝手にそうなっていると思えばいい。
もし本当に倒れたら、その時はその時。
これまで積み上げてきた業界での実績など、大したものではない。
これからやることに比べれば。
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